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《ETAJIMA Fan Info》
2018年10月,大柿高校魅力化コーディネーターに着任した木村さん。
同年4月の大柿高校は,2年連続で全校生徒数が80人を割り,広島県教育委員会が統廃合や再編を検討する基準にまで下がっていました。
江田島市,江田島市教育委員会では,大柿高校と市内中学校・市内外の各教育機関と連携。魅力ある学校づくりを支援するコーディネーターを採用しました。週3回の公営塾運営や通学支援のための路線バス定期代補助などを含んだ,大柿高等学校サポート事業の一環です。
2021年4月で,大柿高校の全校生徒数は10年ぶりに100名を超え,111名となりました!
そして2022年3月をもって,木村さんのコーディネーター任務が終了します。
全力全開で駆けぬけた3年半の奮闘を,木村さんと一緒に振り返ります。
▼「心の部屋」と松岡前校長先生が命名された大柿高校フェイスブック。第1回目の投稿は,2018年11月8日。MIKANマラソンのスタッフジャンパー姿での自己紹介でした。
▼「大柿高校の魅力をたくさん知ってもらえるよう自身も楽しみながらしっかりPRして参ります!」本当にその通り,東奔西走の日々でした。柿高フェスタや学校行事以外にも,MIKANマラソン,オリーブミュージアムなど,市内で大柿高校関連の催事があれば,すぐ傍に木村さんの姿がありました。
来年度が楽しみ。なのに,もう自分がそこにはいないので……
――大変おつかれさまでした。今の心境をお聞かせください。
「来年度の大柿高校が楽しみです。できればここに居て,見届けたかった。
今(※3月28日取材)は来年度に向けての準備時期なんですけど,自分が最後に集めてきた生徒たちが,やってくるんです。それにコロナも最初の頃よりは落ち着いてきた状況で,来年度また多くの行事ができるかなと思うと,すごい楽しみなんですよね。
でもその時にはもう自分は関われないので……。そんな寂しさが今はあります。
だから,やりきったというより,来年度が楽しみだなという気持ちのほうが強いですね」
――着任された当初は,今までにない業務ということで,大変だったと思います。それを乗り越えたのは,どの方からの支えが大きかったと思いますか。
「大柿高校の校長先生,教頭先生が歓迎して下さいました。周りの先生方も,受け入れて,頼りにしてもらえて,頑張れそうだなと。コーディネーター業務の年更新の際,教育委員会の課長に,私が「ずっと大柿高校に居たいです」と話したら「それがいい,それがいい」と。活動しやすいような配慮もいただきました」
――ところで,ここ2年間はコロナ対応でも労力を要したことと察します。そのあたりはどうでしたか。
「感染拡大防止のために,中学校に出向いての進路説明会などが無くなったのが,一番困りました。
保護者向けに説明する機会があまり無くて。人を集めることが許されない状況で,どうPRしたらいいか苦労しました。
最初の休校時期は,例年入学の宣伝をしている時期だったので。難しかったですね,あの時は。
いつもは生徒同行で説明させてたんですが,それも控えて。伺う人数を最小限に抑え,私一人で赴いての説明会もやりました。
学校に行って,生徒は教室で,私は画面越しに話す。リモート説明会ですね。
それと中学校の先生方が協力してくださって「大柿高校は島だから(感染拡大も限られそうだから)説明会に呼んでもいい」と流れを作ってくれて。何とか人数を集められましたね」
――柿高Newsや大柿高校フェイスブックで,オンライン関連の記事を多く見かけました。その背景には,数多くの困難があったんですね。
――ところで大柿高校フェイスブックは,木村さんがほぼ連日投稿されていました。
他業務と並行しての更新で,写真や文章の量もそれなりにあって,すごいですよね。個人が趣味でやっても,連日投稿は大変だと思うんです。今回の卒業式の記事にも,卒業生の写真一枚一枚に,一言メッセージも添えて「明日からみんないないの寂しいよ」「大柿高校に来てくれてありがとう!」とか。読んでいて,とても切ない感じが伝わってきました。
「今年卒業の3年生は,私が初めて集めた生徒,学年になるので,より一層思い入れがありました」
――この卒業生には,生徒会長や野球部キャプテンで活躍した,金川くんもいましたね。他の生徒の活躍も勿論あった中で,ひときわ活躍が大きかったと記憶しています。
「リーダーシップがすごいですから。本当に彼が,学校の流れを変えてくれたんだろうと思いますね」
――着任当初と,現在とで,大柿高校への印象は変わりましたか?
「来た当時は,元気な生徒が多かったので。落ち着いた普通の学校にしようと,そういうPR方法を行っていたんです。
それが今は,普通の学校では物足りなくなって。次の選択肢,大学進学や就職で,より一歩進んだレベルを目指せる学校に変わりました。学校自体が大きく前進したんでしょうね」
――オープンスクールで「市外まで通わなくても,この島で学んで,やっていける環境が大柿高校にある」といった内容で前校長先生がお話されていたと思うんですが。今は林校長先生に受け継がれ,3年半の間にここまで発展したのは,感慨深いものがあります。
▲2019年夏の大柿高校オープンスクールの様子。入学者数の増加に伴い,野球部は単独チームで県大会へ再び出場できるようになりました。(写真上は前校長先生)
――柿高Newsを見ても,公務員試験や大学入試の合格など,明るい話題が増えました。地元でしっかりと自分の夢を叶えられる勉強ができる,そんな実績が多くなったと感じました。
「先生たちも,生徒が少人数だから,全員の先生が目を配れるので。志が高い生徒が大柿高校を選んで,入学してくれるようになりましたね。
今までは国公立大学や県職員を目指す生徒は,少なかったんです。
それが,そういう目標のある子が入学して,本気で指導する若い先生たちのチームもあるので,体制も充実しました」
――学校の授業も勿論ですが,公営塾でも費用や学習環境面で手厚いサポートがありますね。公営塾は民間からも先生が来てくれているんでしょうか。
「今は「家庭教師のトライ」から2人と,地元の,もと中学校の数学の先生と,私が英語を指導して。常に4人体制でやっています」
――今のコロナの状況下ですと特に,遠くまでいかなくても近場で丁寧な指導が受けられるのは,良いですよね。
「塾を大柿高校の図書室に移動し,月一で塾と学校の先生のミーティングの機会を設けました。2つが連携して指導ができるようになったのが,効果が大きかったと思いますね」
――学校と塾は,相反するように捉えられがちなんですが。公営塾だからこそ,連携を強めることで双方の長所が発揮できて,良かったと思います。
――大柿高校では生徒が,検定などの挑戦を盛んに行っていますが,どのような状況でしょうか。
「チャレンジする生徒が増え,合格者もいます。英検や漢検などですね」
――やってみよう,という生徒が増えたのは,いいことですよね。一人一人の,意識の向上を感じます。
▲「令和3年度学校案内」より。『目が届く・手が届く・心が届く』をモットーに掲げてきました。
▲正門から入口玄関まで整備された花壇。来て楽しい,『おもてなしの心』が感じられる学校に。
▲林校長先生や茶華道部が植えた花は,水やりも校長先生がされておられるそうです。
▲花壇の傍には,3年生の授業「地域探究」で理科グループが昨年製作した樹木標本。説明文下の赤いロゴマークも生徒考案
▲花壇の傍には,3年生の授業「地域探究」で理科グループが昨年製作した樹木標本。説明文下の赤いロゴマークも生徒考案
――この3年半の間で,印象に残っている出来事をお聞かせください。
「年1回のオープンスクールですね。学校が,一番力を入れている行事で,とても印象に残っています。
今まで3回経験してますが,毎回新しい内容で臨んでいます。学校の説明をするメンバーは生徒会です。
1年目は全部私が原稿を考えて「ちゃんと練習してきてね」って言ったのですが,練習してこなかったり,全然顔を出さなかったりと。それが翌年は,2日前くらいには練習に来るようになって。
今年度は,生徒だけで回せるように。内容は私が考えたんですが,生徒だけで回せるような力のある生徒が,揃ってきました。メンバーは年々変わりますが,オープンスクールで大柿高校が進化したなというのが分かる瞬間でもあるので。それは良かったですね。
1年目はニュースキャスター風の構成で,壇上で話せる生徒は少なかったんです。次の年は,できる生徒が5人くらいに増えて。今年度は,ほぼ全員ですね。部活動のメンバー,生徒会,総出演でした。自分の言葉で喋れる生徒が増えたので,もう任せられるだろうと」
入った側から迎える側へ。引き継がれる「心」のバトン
――生徒の自主性の変化や向上は,いつごろが転機だったのでしょうか。
「大柿高校が,頑張って生徒を集めているのを知って,入学した生徒ばかりなので。だから今度は「自分たちも頑張って集めなくちゃ」という意識が生まれたのだと思います。それが多分,受け継がれているんでしょうね」
――オープンスクールに来る人は,外側からだと,校風や活動を紹介した1つの行事にしか見えないかもしれません。ですがここまで至るには,学校と生徒の成長と努力の成果で,その一面もあったと。
「生徒は本当に協力してくれています。私がほぼ毎日学校のフェイスブックを更新するのを知っていて「これやったら大柿高校,良く見えるよね」と,広報効果まで考えるようになりました。頑張っていると思いますね」
――現在のフェイスブックは,前校長先生の命名で「心の部屋」として始まりました。この3月で木村さんが離任した後,更新はどうなるのでしょう?
「林校長先生が引き継ぎます。アプリの使い方から全部。現在,勉強中です」
――今後のフェイスブックも期待しています。
――江田島ファンネットをご覧の方の中には,大柿高校を卒業されたりと,縁のある方もいらっしゃいます。皆さんに向けてメッセージがあれば,お聞かせください。
「大柿高校の事を,これからもずっと興味を持ち続けてほしい,注目してほしいということですね。
今まではコーディネーターも付いて,かなり目立つ状況になって,テレビや新聞のメディア露出も増えました。
これからは,私も離任して,もう学校が安定したと,みんなが安心してしまったら。今までの熱が冷めてしまうのが一番怖いんです。
やはり周囲が注目すると,生徒も嬉しくて頑張りますから。常に注目してほしいというか。
3年半でこれだけ変わったので,これからも,多くの方に応援してもらえたらと思っています」
取材を終えて:
――コーディネーター業務について,初めて尽くしで大変だったという内容の苦労談で,当初は構成や展開を想定していました。しかし木村さんからお話をうかがうと,実に密度が濃くて深いエピソードの連続でした。3年半の短い期間でありながら,生徒や周囲への関わり,目配りがこういうところにあったのかと驚かされる,いいお話ばかりでした。
「最初の頃はいろいろと大変でしたけど,こんなに学校が変われる瞬間に立ちあえるとは……。本当に良かったです」
(2022年3月取材,記事作成:2022年4月)
大柿高校の中庭にて。3年半,おつかれさまでした!
※現在の姓は長澤さんになりましたが,コーディネーター期間は旧姓で活動されていたため,当記事は「木村さん」の表記で統一しています。ご結婚おめでとうございます!